幼稚園に行けなかった人一倍敏感な娘が成長を見せた瞬間

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人一倍敏感な子だと気付いた時

生まれた時から体力が他のより少なく、眠っている時間も長かった娘。アトピーや喘息など、病院通いが大変な時もありましたが、性格が温厚で、夫も私もこんなに優しい子が生まれてきてくれて本当にありがたいと常々思っていました。

年少の秋に、この長女が登園を拒否するようになりました。

きっかけは、肺炎で入院し、退院はすぐできたものの、食欲や体力がなかなか戻らず、家から出たがらないようになりました。体が元気になってきても、幼稚園に連れていくと泣くようになり、あんなに楽しそうだったのに、どうしてだろう?と不思議になりました。家にいる時はとても元気なのに、幼稚園に行こうとすると泣き出してしまう。

この時に私は初めて『人一倍敏感な子』”Highly sensitive child”という言葉を知りました。うちの子は一体どんな子なのだろう?とインターネットや図書館で子育てや子どもの心理の記事や本を読み、「HSC」という子たちがいることを知り、うちの娘にとても似ていると感じたのです。

アーロン氏の本を読み、これまで娘と過ごしている中で感じていた色々なもやもやがクリアになっていくことを感じました。子の時に初めて長女が持つ「敏感さ」と向き合うようになり、敏感な子は敏感な子の方法で色んなことを考え、乗り越え、成長しているのだと感じました。

私と夫が単純に「手がかからない=良い子」と思っていた頃、まだ私達は子育てや人の心というものを自分達が楽ができるくらいの簡単な尺度でしか考えていなかったのだと、この娘の敏感さと向き合うようになってから気づきました。

『敏感な子』ということに気づいたきっかけ

『ひといちばい敏感な子』の本は、インターネットやインスタグラムでうちの子みたいな子は他にいるのかと調べている時に見つけました。

本屋さんで購入し、読んでいくと、その母親の私もHSPに当てはまる部分が多く、大きな音や人混みが苦手なこととか、HSCとHSPの特性に加えて、幼少期にどのように接していけば良いのかが書いてあり、まさに私が知りたいことが載っていました。

私も娘も人見知りが無く、どちらかというと人一倍社交的です。

HSCとHSPの中にも、色々な性格の人達がいて、さらに、生まれ持ったものと、生まれ育った環境に影響されて現在のその人ができているということです。

HSCに関わらず、人間誰しもそうですよね。自分の特性や個性をよく理解してくれる大人のもとで育つことができれば自分自身について悩むこともなく、幸せに成長していける人が多いと思います。

子育てについて浅はかな考えを持っていた私と夫は、大人しい娘には今後、公立教育で揉まれるのであれば、そこでちゃんと生きていけるように、たくましい子に育って欲しいと思っていました。

それで、マンモス幼稚園に入れていたのですが、気疲れをして帰って来る娘に、「どうして他の子のようにわんぱくに遊ばないの?みんなで鬼ごっこしてるのにどうして一緒にやらないの?」と怒ってしまうこともありました。

まだ3才~4才だった娘も、「うん、がんばる。」と結局できないのですが、親があんまりそういうことについてうるさくいうので、頑張らいといけないと思ってしまい、「やっぱりできない。」と落ち込むようになってしまいました。今おもうと、本当にただの余計なお世話ですよね。

これが、他の大人が言うのならまだしも、同居している両親に言われていた娘は本当にかわいそうだったと思います。娘が泣いたり、幼稚園に行きたくないと言い出してから、やっと私も自分と夫の言動が娘を苦しめていたことにも気づき、幼稚園に行けないことについては娘にとやかく言うのはやめようと思えました。

朝になると「行きたくない。」と泣き出すようになる

不登園時期は朝になると「幼稚園行きたくない。」と娘は泣き出していました。朝起きた時は、元気なんです。

ご飯を食べて、制服のブラウスに袖を通すと「え~ん。」と泣き始めます。年少の秋からこういう感じになり、「行ける時に、園バスにも乗らないで車で送ってあげるからママと一緒に行こう。」と言い、担任の先生もサポートしてくださり、少しずつ行けるようになりました。

しかし、年中に上がり、事態は悪くなってきました。担任の先生が厳しい先生で、連絡帳に娘が家で話していることを書いても、あまり取り合ってもらえず、娘がそのマンモス幼稚園で疲れてしまっていることを理解してくれませんでした。バス通園だと、連絡帳や電話でのやり取りが多いのですが、コミュニケーションがとっても難しい先生でした。

それに加え、親しくしているクラスの友達が2人、転勤で遠くに行ってしまうことになりました。娘は年長、その幼稚園に通うのが全く楽しみではなくなってしまいました。

前に、Eテレウワサの保護者会で「学校の先生とどのようにうまく付き合うか」というテーマの放送があって、尾木ママが「子どもを家庭と学校両方で見守るのが大切。連絡帳を活用してささいなことでも伝え合うこと。」とおっしゃっていました。

私なりにこの連絡帳でのやり取りをやってみたのですが、先生との関係に変化は無く、難しかったです。

よく担任がダメなら園長先生に相談しましょうという意見もありますが、園長先生に会う機会はなかなかなく、別件で前に話した時も「えっ?そうなんですか?」という感じで、全くこっちの話を聞いてもらえなかったので、今回話す気になれませんでした。

幼稚園での子どもの悩み

ある日、朝ごはんを食べた後にいつものように「自由時間に誰と遊んでいいのか分からない。」「先生が怖い。」「給食はやく食べられないの。」と制服を着ながら泣き出し、不安なことをいっぱい吐き出した娘。

「また、そんなこと言ってる。何回も聞いた。」と思うものもあれば、「えっ!そうだったの?それは知らなかった。」と思うものもありました。とにかく不安を、子どもが口にしてくれたのはすごく良いことでした。だからといって、すぐに「じゃあ、今日は幼稚園行くのやめようか。」ともせずに、一応聴くものの、体調に問題無ければ行くようにしました。

「ママ、どうして休めないの?お腹痛くなってきた~。」と涙をぽろぽろ流しながらぼそぼそ話す娘に「うんうん。そうだね。」としか言えない私。

長女はどんな気持ちなんだろう。休んで家に私と妹といたいのかな?できたら、みんなのように幼稚園に行きたいと思っているのかな?正直、わかりませんでした。

子どもは知らないうちに成長している

その日は、園バスに乗って登園しました。バスがあと4分くらいで来る時間になったら娘は突然私の手をぐっと握ってきました。

「ママ、まーちゃん頑張って行く。」と言って、前を向きました。涙の跡が頬に残ったまま到着したバスに乗って、笑いもしないけど、泣いてもいない、どこか決心のある表情でバスから手を振って幼稚園に出発しました。

1時間前の朝ごはんの時にはこの状況は想像できなかった姿にびっくり。きっと、不安を吐きながらもどこかで「行かないといけない。」と思っていたのだと思います。

帰宅してからは「やっぱり給食の時に泣いちゃった~。」や「今日は体操服に着替える時に寂しくなったんだけど、ぐって我慢して泣かなかったよ。」と報告してくれました。泣き虫な小さな娘が自分の力でがんばっていると感じた出来事です。

子どもが気持ちを出せるように見守ってあげたい

後日、習い事があるので幼稚園に迎えに行きました。担任の先生に会ったので、話を聞いたら「やっぱり泣いちゃうんですけど、朝バスから教室に来たら『あのね、先生に言いたいことがあるの。お腹痛くなっちゃうの。』と言いに来てくれたりします。」とのことでした。

娘は毎朝、家で泣いて「もし、お腹痛くなったらどうしたらいいの?」「吐いちゃいそうになったら?」「外で遊びたくないのに遊ぼうって言われたら?」と一つ一つの対処法を聞いてきます。

「吐きそうになったらトイレに行くか、バスではこの袋に吐けば良い。」「外で遊びたくなかったら、お部屋でこういう遊びをしたいって言うか、ちょっとならお外でも遊んでみるかしたら良い。」「ちゃんと先生やお友達にお話してみて。きっと聞いてくれるから。聞いてもらえなかったらまたママに教えて。」と一つ一つの対処法を一緒に考えるようにしました。

園ではそれを実践しているようです。その場その場で自分で考えて行動して欲しいって、はじめは思いましたが、娘には心配なケース一つ一つを確実にクリアできる具体的な対処法がとても有効だったようです。

幼稚園から帰宅した娘に「まーちゃん、先生にちゃんとお話できるんだね。」と話すと、「うん、そうだよ。」と言うだけ。

その夜に、私と1才の次女がじゃれていると「ママに言いたいことがある。どうして、みーちゃんばっかりいつも『かわいい』って言うの?まーちゃん寂しいよ?」と言ってきました。

長女は生まれた時から空気を読む子で人が嫌がることはしない性格です。だからか、自分を出す瞬間をいっぱい逃してきてしまったのも事実だと感じています。

段々相手に話すタイミングを考えながら(「言いたいことがあるの。」と前置きするのはその目的があるのかな。)自分を出せるようになっていってるような気もします。

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